スポーツを通した教育についての持論

2015年11月4日 一般治療

おはようございます。
米沢の加藤です。

 

今日は、スポーツを通じて行われる小中高生の教育について、
持論を述べさせて頂きたく思います。

 

私は、小中高生が行うスポーツは、基本的に教育がその土台にあると考えています。
勝ち負けももちろん大事ですが、
それ以上のことを学んで成長し、その経験を人生で役立ててほしいと願っています。

 

保護者の方々が、我が子にスポーツをやらせる目的は何なのでしょうか?
勝利するため?健康になってほしいため?
仲間との団体行動を身に着けさせるため?
そのスポーツが単純に好きで、子供にもやらせたいため?
より強い心を育てるため?

 

もちろん、理由は一つだけではないでしょう。
色んな理由が複合的に重なって、例えばサッカー、野球、バスケなど、
それぞれのスポーツに出会い、競技そのものの楽しさを感じていくものです。

 

そりゃあ、本心は、勝負事はやはり勝たないと面白くありません。

 

勝つことを目標にして、苦しい練習や状況を切り抜け、
仲間との結束を確認し、周囲に感謝しながら優勝できれば、
それはすごく素晴らしいことだと思います。
結果、優勝できるのは原則1チームだけです。個人競技では一人だけです。

 

勝つことを目標にするのは大いに結構です。
しかし、勝つことを目的にしてはいけません。
目的は、あくまでスポーツを通じた人格形成や体力作りにあるわけで、
勝つことが目的になってしまえば、それは大変危険な思想につながります。

 

勝てばいいのであれば、ルール内で目いっぱい卑怯なことをすればいいのです。
審判に見えないように反則をしたり、けりを入れる、ひじ打ちをする、
タイム競技であれば、痛いふりをして競技をとめて休息する、などです。

 

でもそんなことを教える指導者はいないはずです。
勝つことがそんなに大事なら、審判にわからなければ何をやってもいいはずなのに。

 

そうです。
指導者は、心の奥底では競技を通じて成長してほしい、と思っているのです。
最終的に勝ち負けだけでなく、卒業時に成長した教え子たちを
目を細めて喜んでいるはずなのです。

 

練習は厳しくたっていい。
ただ、常に教育のため、という誇りをもっていてほしいと願うのです。
厳しい練習や、置かれた環境、レギュラーになれない悔しさ、
試合で勝てない悔しさ、先輩後輩の厳しい関係、怪我に泣かされたこと、など、
全てひっくるめて是非教え導いてほしいと願います。

 

指導者の真価は、教え子たちが試合に負けたときの教え子たちのふるまい方で決まります。
試合で負けたり、いいプレイが出来ないときに、
礼や態度でふてくされているのをみると、
明らかに指導が行き届いていないのを感じます。

 

勝つこと以前に、競技することへの喜び、感謝、相手への敬意、
関係者への敬意をしっかり叩き込んでほしいと思うのです。
それが教育です。
そしてその考え方こそが、
いい仕事をする社会人には必要ですし、本当に大きな意味では世界平和までつながります。

 

勝てばいい。
その考え方と今一度向き合い、
是非とも競技を通じた成長を糧に、世の中をより幸せにしてくれる人材を
多く輩出してくれることを願っております。

 

ケガに泣く選手をみるのは、とても悲しいことです。
ケガとの向き合いかたも、指導者の方々には今一度考えてみてください。